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2022/07/07

  • kizirusikiu
  • 2023年7月19日
  • 読了時間: 5分

おぎゃあ。

これより先、生存活動は有料コンテンツになっております。

お支払いの無い場合は直ちに役所の強面にいさんが私を、私を、私をぶち殺しに行きますので、滞り無くたんまりお支払いください。

生きてはいけないので、生存の為に土地に住まうと住民税、食べると食費、服を買うのにお金がかかって、病気をしたら治療費、入院でベッド代「3000円/日」、高額医療費「100万円」、藪医者の診断書「5000円/枚」、酷いと病名を書くだけで「8000円」、医者ぼろ儲け。薬、安くて「2000円」。苦労して働いたら所得税、これを病院代とも言う。

有料コンテンツ、或いは罰金。

労働は罪だからお金がかかる。生存と労働の罰金を払う為のお金を借りる所、職場。罰金を稼ぐ為にする事、労働、罪。罪を重ねる。

生存は罪で、誰も望んでいないから、謝り続けないといけない。

聖書の収穫量が多い地域では、現地の住人達が人間(有害コンテンツ)を殴るのに聖書を使います。聖書と書いて鈍器と読む。

石を投げて良いのは罪の無い人間だけ、だけれど、

「罪のある人間は聖書で人を殴ってはいけない」

と誰が教えたか。誰も言っていないだろう。

ドンドンドン、ドン、キ

ドン・キホーテ

聖書は鈍器なので鈍器のテーマソングを歌いながら殴るんです。聖書で。ボコボコボコボコボコ、許して許して。ごめんなさい。

ドンドンドン、ドン、キ

罪のある人間なので私も自分を殴る時は聖書を使いたいのですが、聖書は燃やしたので、代わりにコミケのカタログで殴ります。

聖書は昔、近所の家が燃えた時に投げ入れたから、燃えた筈だ。どうしよう、手元にコミケのカタログが無い。自分を殴ると楽になれるのに。

ドン・キホーテで買える最大の鈍器ってなんでしょうね。

都会にしかドン・キホーテは無いですから、分からんよ。冷蔵庫とか、テレビとか、包丁、バールのようなもの、バールのようなもの、ドン・キホーテには何でもある。夢も希望も絶望も。

ドン・キホーテ、ドグラ・マグラ、ドン・キホーテ。


自傷をした事は無いと思っている。リストカットはした事がない。傷は微かにあるけれど、無自覚なら私ではないし、きうさんとは関係無い。それに微かであれば自傷に含まない。引っ掻き傷はある。皮を剥いだ。細長く15cm程。脚は何度も。顔も何度も。でも自傷ではない。指を動かしたら怪我をした、過程と結果はそれだけで、自傷ではない。自傷をしたのではない。指を動かした。


薬は自傷ではない。自愛と呼ぶ。輸入したフデコーDXMの青ボトルが並んでおり、不規則に揺れて細くなったり小さくなったり、富士山よりも大きくなったりしている。5つ目のボトルが海を渡っている。早う来たれ。一つ1000錠入って、5つで5000錠、と言うと気味が悪い量だけれども、100回分か、午前に30t、午後に30tとすると、60t使うので83回分。数ヶ月持つだろうという程度だ。1ヶ月1ボトルの調子。もう一,二錠しか入っていないボトルを振るとカラカラ鳴る、直ぐに、空に成る、僅かなものですよ、1000錠とは。ね。1万2000円程度。薬代だと考えると、レシートよりも軽い。軽過ぎて埃も動かせない程。病院で払う1000円は重い。回復の兆しが無い、効果が無い、通って良くなるヴィジョンも無い。そんな事に払う1000円は重い。払いたくない。コンタックDXMは一箱2000円程度、軽い。24t、メジコン50t相当。一口で飲む。恍惚と言うにはあまりにもくたびれた、午後のプールの後の教室の脱力感、空虚。プールの後はいつも虚しかった。膨張する様な舌の痺れ、ラムネか何かが脳を駆け巡って重くする。

ブロンは最近は時々しか飲まない。物質的恍惚という本があるが、ブロンとフデコーDXMのどちらがそれに近いかと言えば圧倒的にフデコーDXM。空虚や無意味をざらりと広げた中にぽつねんと在る私たる虚ろの影。髪の毛先をトンネルとして、カレンダーの19日に私が成っている。生っている。蒼々、おいおいと生い茂る布団に私の指がにょきっと生っている。無数の指が手を引き連れて出て来たかと思えば、百足の如く、雄大に連なる、手、手、手。

伸びるベッド平線と私の海。椅子はジェットコースターの様にゆあんゆあんと転がり空を舞い、重力が縦横無尽に方向を変えて飛び掛かる。アトラクション。激しく虚無、狂う程にだだっ広い。


ブロンの、多量に飲んでいささか胃が転び転び、まろやかに、豊かな吐き気とやわらかな痺れに包まれ、正誤,清濁の融けて物言いの可笑しくなる事も、嫌いではない。

暴力も自愛。夢にて魘された様に、その夢で殺したみたいに、殺せたならばなあ。脇腹の辺りを刺して、首を刺して、頭を潰して、殺せたなら。誰でも構わない。大抵、人を殺す人間は、ターゲット等誰でも構わなくて、強いて言うと、近くに居て不愉快な人間が、目立って殺し易いだけなのだ。自分の身の為に実行をしない。殺しかけた事はある。親は殺しかけた。尊属殺人の概念は馬鹿馬鹿しい。人を殺すとするならば、真っ先に選ぶのは誰よりも皆家族だ。家族とは、互いが互いをウンゲツィーファだと思っており、気色の悪い害虫ウンゲツィーファを、タイミングさえあれば殺そうとするものである。嫌いな人間リストに入り得る人間というのは凡そ家族とかで構成されており、学校で同級生だった程度、会社で同期だった程度の赤の他人がよく知った風にズケズケとは入り込まない。嫌いな人間になるにも崇高な気の許し合いからだ。グレゴール・ザムザの殺し合い。心の中では皆人殺し。そう思う自分は毒を詰め込んだ罪に塗れているだろうから、殺してほしい。

赦されたい。誰かに、出来るだけ顔を歪ませて、殺されつつあるこの私よりも一層死にそうな顔をして殺してほしい。恨み、憎悪、嫌悪、愛、慈しみ、怒りで顔を歪ませてほしい。その表情を大事にして、私の首に手を宛てて、私を赦してほしいし私も赦したい。この場合どうか、私にとっての赦しとは私を恨み嫌う事か。

私を憎らしく見て罵声を浴びせる人間は、私を救うだろう。救われない事こそが救済であるというやさぐれた理解の所為で、永遠に謝罪の沼のズブズブという音を聞き続ける。謝り続けたいのだ。怒鳴る人間の方へとよちよち導かれて、しっぽを振ってまた怒鳴られるのを待っている。

救われるものか。救われるものか。私に差し伸べられた手を傷付ける事で、見せ付ける。救うな。警告。救われたら怖いのである。幸福と言えば聞こえはいいがその実の空虚、空虚、安全とは虚しさの事を指す。救われるものか。救われたらこのだだっ広い空虚の砂漠にて、実体を持つ実感に、「生きる喜び」という名前の苦しみを受け続けねばならない。救われるとは拷問の様な事だ。

ドン・キホーテ、鈍器、鈍器。

 
 

棄印進化センター

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