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kizirusikiu

私は人を虐めたから虐める迄に何があったか書く。

   1


 現在25歳の私には、20の妹がいる。私はASDと軽度のADHDであるが、妹は軽度知的障害とADHDの傾向が見られ、丁度本文公開の今日に大学病院にて諸々の検査の日程を決めに行く事になっている。本来であればもっと早く(数年も前には)検査がされる筈であったが。


 私の家庭には虐待があった。主に母が私と妹を強く怒っていたが、父が、特に怒られている私を見るのが嫌いで理不尽に私を殴り倒す事が多かった。そんな父も実家で虐待を受けていたと言えるが、父自身ADHDとASDが強く、また義務教育レベルの学習に断念して自衛官になった人間であり、会話は噛み合うことが無く、それらが合わさってストレスを抱えており、常に感情的だった。父はそもそも、言語を発する人を見続けるのが嫌いだ。そりゃあ、分からない事を言われ続ければ誰しも疲れるものだ。

 母が私を怒る理由は複雑な事が多かった。父には理解出来ない。それで怒られている私を嫌いな父は、妹を好きだった。未だに小さくて、幼児の様な声で白い肌の、可愛い妹は、父と同じで言語をあまり使わない。父の非を指摘する事もなく、愛玩動物の様だった。よって、虐待は妹の方が少なかったとは言えた。


 昨日、私は寝ていた妹を殴った。金属製の空気入れを使った。思ったよりも軽くて幻滅したが、部屋の畳は赤くなった。こんなの唯の罪だ。しかし今でも後悔出来ない事を、懺悔する。


   2


 ペットがいる。スベリさん。私の部屋で主に飼育しているが、家族が居る間は部屋から階段、少しの廊下からリビングを自由に遊べる。

 先日だ、05/31。その時私は部屋に居て、階下のリビングには妹が居た。スベリさんはリビングへ行き遊んでいる様だった。妹は彼に対して笑って声を掛けていた。

「ダメだよスベちゃん〜、ふふ。」

ながく笑っている様だったから、私はスベリさんが可愛い事をしているのかと思って階段を下りて、彼が喉に物を詰まらせているのを見た。唾液が垂れている。

 カールシュミットモニター、オオトカゲ、肉食の大型のトカゲ。比較的丸呑みに近い食べ方をするこの動物は、少なくとも我が家の飼育下で普段は滅多に無いが何かの拍子にそこらの物を餌だと誤認する事が稀にある。年に一度くらい。

 見えたのは、ソファカバーを固定する押し込み棒、直径3cm,長さ15cmのポリプロピレン製の円柱、その端から3cm程。

 スベリさんが死ぬ!

 私は一気に汗を吹き出しながらスベリさんを持ち上げた。妹は遠目から、「スベちゃん変な顔〜」と笑いかけて彼女の部屋に戻って行った。


 スベリさんの大好きな温かい風呂を洗面台に作った。歯は鋭利に喉の方を向いており、ポリプロピレン製のスポンジは彼の歯に容易に何度も引っ掛かり、私は両端から木製ピンセットを押し込み力を入れながら、無理矢理水に沈めては、首を圧迫し、苦しんで口を開ける様促した。口から棒を引き抜こうとする私の手は直ぐに血だらけになり、血で興奮した彼は何度も棒や手を噛んだ。口から出ていた棒の先数cmが噛み切られ、彼の口は血と涎でぶくぶくしていた。これ以上は書かないが、私が虐待で受けた事があった様な様々な手で遂に全てを吐き出させた。

 爬虫類は大抵そうだが、痛みを顔に出すのは本当に限界の場合のみで、スベリさんは私が謝りながら与えたフードを、口をこじ開けたピンセットからとても穏やかに食べて、風呂を堪能し始めた。不安は消えない。

 血が散っていたので、急ぎ拭いて、赤っぽい水も入れ替えてやった。

 大抵のリスクあるものはスベリさんの遊ぶ範囲から排除していたと言えるが、ソファの隙間は盲点だった。私のペットであるから私の監督責任であり、悔いながらソファから直ぐに押し込み棒を撤去し、ビニール袋に入れてきつく縛った。


 程なく母が帰宅した。


   3


 丁度妹にものを言おうとした時であったから、母には関心を向けず、妹の方へ行った。

「スベリさんが物を飲み込もうとしていたのを見て笑っていたのはなんで?」

「え?」

「危ないと思って私を呼ばなかったのはなんで?」

それだけで、以降妹は暫く黙った。諦めて母に仔細を話した。


 なにもひとつのエピソードで妹を殴った訳ではない。これは単なるひとつの切っ掛けであって、その全てではない。知れば知る程嫌いになるものが誰しもあると思うが、妹がそんな人だった。ここ数週間は、妹との関係も悪かった。それはかつて虐待をしていた母も同じで、最近、最近になって私は妹を、母と同じ様に怒り始めた。それは、虐待されて育った子供は虐待をするとか、そういう話なのか、それとも、もっと他に何か理由があるのか、分からないが、成人にもなった妹を私は怒るしかないと信じ込んでいる。


   4


 妹は病弱の様だった。病院で救われた経験は私の比では無いからか、小さい頃から病院が大好きで、看護師になると言って看護学校へ行き、しかし病気により実習が出来ず、僅か2ヶ月の通学の後には入院して、その看護学校を辞めた。

 私は私で、夢の理系職に就いて多忙のなか、薬剤による悪性症候群(原因と病名発覚は遅かった)で泣きながら辞職し、意識喪失の多さに危機感を覚え速やかに家に帰るなどしていた。

 妹の事は、一人暮らしの間にも妹自身からのLINEで聞いていた。何度も入院している、夢を諦めたくない、夢を諦めたくないと私に吐くしか出来ない妹に私を重ね、深く同情し、励まそうとした。せめてほんの少しの外出の日だけは素敵な服を着れる様にと、妹に、作家の一点物のワンピースをプレゼントした。妹には値段を見せずに選ばせた。可愛い妹は、とても可愛くそれを着た。その服を着て、各所で妹は可愛がられた。直ぐに、私は動く事もままならなくなり、職場に頭を下げて、実家へ帰った。


 比較的最近になって知った。妹の病気は半ば嘘の様なものだった。


 妹は、そうだ、物心も付いていない様な頃から、人形を包帯まみれにして、感動話しか聞きたがらない子供だったが、そう、ずっと、単に、感動的な世界が好きで、優しい言葉を掛けてくれる人が優しい人であるという、そんな気持ちで、生き続けていた人だ。医療ドラマしか観ない。感動に飢えていた。

 感動が欲しい割には目の前のちいさなものを愛さない。歩いている老人はお菓子をくれない限り嫌いだが、死にかけの老人は好きで、生き物を生かす努力はしないが死んだ生き物の墓を作るのが好きだ。短絡的で時にものを盗み、隠し、または悪気も無く他人の物を堂々頂戴する。


 妹の本棚には、専門学校時代(といっても2ヶ月しか行っていないが)の教科書と、スピリチュアルな自己啓発本があった。天使を呼んだり門を開いたり、引き寄せたり、幸せになる方法みたいなやつ。


 幼い顔の妹を可愛がる看護師は多いだろうし、どこの病院に行っても何故か、妹は元気かと看護師に聞かれる。愛されているのだろう。

 私も妹を愛していた。暫くは尊敬すらしていた。私には全く出来ないスポーツで大会に選ばれる妹(もう体を動かさない)、私がとても苦手な料理のできる妹(食べたい料理以外は意地でも作らない)、私には無い愛嬌がある妹(虚言癖で友人は次々と居なくなった)、幼い頃から一貫した夢を持っていた妹(努力はしなかった)。

 私は恥ずかしながら、身内でありながら長くその幻想を信じていた。妹は、中学でも割とそうされていた様だが、高校でもいじめられていた様だった。子供達は分かるのだ。妹の口からの情報なのでいじめと言っても本当にいじめなのか分からないが、少なくとも長くそれを不憫に思って、妹の救われない境遇に明るい欠片を与えようと必死でいた。父は気の利いた事なんてしないし、母は妹を怒るし、私だけは助けなければと。妹の感動物語のダシにされた訳だ。

 母は妹を強く叱っていた。私はその理由が分からなかったから、妹を強く庇い、母を泣かせた。15年間は大体、その構図だった。


   5


 今年に入ってから最近迄、妹は週に3回訪問看護を受けていた。盗み聞きする気が全く無かったという訳では無いが、どうも妹が他人への不満を言って、訪看はそれに「最悪ーー!」と言っているのは聞こえて、今年に入ってから家族以外と殆ど関わりの無い筈の妹の不満が気になった。

 週3の訪問看護、大声で盛り上がり話している内容は、少し関心を向ければ自然と入ってきた。

 私含む家族の、ありもしない、全くありもしない嘘の悪口だった。

「でも家がどんなに苦しくても、あたしは、看護師を夢見ていいって思えて、前を向いて、前を見れる。だから勉強しなきゃなんよね。夢に向かって生きることって、生きるののエネルギーだから。」

「偉いね、うんうん、応援するよ!夢、これからの事を想像出来るのは良い傾向だよ。本当に偉い。家族が苦しかったら、直ぐに逃げな!手伝うから!!」


 在宅で細々とやっている私は、毎週3回、訪看との語りを聞いた。1ヶ月程は聞いた。悪い事とも思ったが、ありもしない話で盛り上がるリビングに、私はトイレの為にも行く事が躊躇われていたから、多少は注意をしようと考えていた。

 妹曰く、私は、妹をいじめている。傲慢で、妹の意見を受け入れてはくれなくて、母と一緒に虐待を始めた。何をしても否定してくる。こんなに夢を見ているのに応援する気が無い。夢を潰す気で企んでいる。


 妹の訪問看護は、妹が行っていた大学病院が、服薬を誤魔化す(薬を捨てる)傾向を見ての判断だと思われる。訪看にはあまり伝わっていない様であったが、「ストレスをかけない方向で、肯定する様に」を厳守したのは先生の指示だと聞いた。病院の先生側としても、妹の凄惨な虐待話から強いストレス下に居ると考えていたのだろう。実際には今、もう虐待なんて無い。父は無神経だが、大した問題は無いし、家では妹は、母にずっと甘えていた。


 妹は入院すると病気が悪化する。服薬を守らなかったり、拒食、点滴の拒絶、あらゆる手で病気の自分を作り出していた。最初は精神科に入院していたそうだ。しかしあの手この手で拒食を続けた結果か、今迄全く問題無かったあらゆる食物をアレルギーで摂取する事が出来なくなり、大学病院で先生を半ば怒らせて、山奥の姥捨山みたいな病院に転院した。そんな場所があるんだ...。しかしそこでも長らく拒食は治らなかった。妹からの言葉によると、アレルギーで手間を掛けさせるから看護師に嫌われて全く相手にされず、そもそも食事どころではないとの話で、それはそれは酷い様で、病院に怒って退院させて、大学病院での定期的な診察に戻った。私は妹から負の面を全て隠されており、母は逆に殆ど知っていた様だったが、妹の味方として必死な私は母を孤立させていた。

 私は部屋中を回ってアレルギーの心配のあるものを片付け、特に明確に危険なものの表を各部屋に貼り付け、妹の机に、探しに探して見付けた妹でも使える安全な消臭スプレーを、リボンでラッピングして置き、久しい退院をもてなした。消臭スプレーが大好きだったので。


 私が不在の期間もあるし、細かい順序は間違いがあるかも知れないが、一時的な免疫の過剰反応だった様で、数ヶ月前にアレルギーの専門病院で細かに検査したら殆どの食材にアレルギーは無いと出た。ラテックスと、それから米に少しアレルギーはあるが米は少しずつ慣らせば食べられる様になるらしく、私はとても喜んだ。あの澱粉臭い飲料だけを飲み続けるだけの妹の前で食事をするのは心が痛んだから。

 まあ、その後も妹は何かと理由を付けて拒食して、母に怒られていたが。米も、少しずつ試す予定を提案しては全て断られた。


「何も食べられない私の前で、家族が、ご飯を普通に食べるんですよね。ムカつきますよね。だからさあ、ほんと、家族皆私の事考えてくれなくてさあ。」

 最近の訪問看護。

 彼女の部屋には、食べ切れる気もしない量のお菓子と酒がパンパンに詰まっている。隠れて食ってんだろう。


「看護師って金遣いが荒いって言われるんだけど、食べないとやってられないじゃないですか〜。夜勤とかでテンション変な時もあるし、仕方ないですよね!」

 より最近の訪問看護。看護師をやっていない妹が何故かもう看護師面だ。一応妹も身体障害者支援の仕事をし始めていたが。

 最近妹がやっている事と言えば、仕事の愚痴を持ち帰り、TikTokでダイエットの方法を見ながら寝落ちる事くらいで、勉強などもしていない。


 ゴミ袋の奥から、妹の飲んでいない薬が見付かった。


 妹の部屋から怒声が聞こえてきていた。部屋を片付けろと言われている。私は妹に不信感を持ってはいたが、間に入ろうと部屋に向かった。開きっ放しのじゃがりこLサイズ。その他食べかけの山。アレルギー体質の人間の部屋で良いとは思えない。匂いにうるさくてリビングでは消臭スプレーを使いまくる妹の棚に、リボンラッピングのままの安全なスプレーが沈んでいた。

 妹の話、服の片付け方を教えろ。

 母の返答、取り敢えず現状を見せろ。

「取り敢えずとか言ってたら私一生片付け出来ないんやけど、なんでやり方を普通に教えてくれないの。やり方を教えないから私がこんなんなんやないの。」

「まず何がどれだけあるか分からないじゃない。全部見ないと説明しろって言われたって分かりません。」

「取り敢えずb(妹)さん、箪笥の中の服を全て一度出していって、テキトーでよいから並べてみるだけしてはどう。それが出来たら、次の話に進むから。」

大変くだらないが、上の様な話をするのに4時間とかは掛かった。

「取り敢えずbさんを一旦一人にさせて、終わったら呼んでもらおう。」

母にそう言って妹の部屋を二人で出た。数時間。来ない。服を出すだけしか指示をしていない。私は妹の部屋へ行った。スマホを隠す妹。

「作業はどうしましたか。」

「分からない事があって、調べていました。」

TikTokかInstagramの音楽がチャカチャカと軽快だ。

「分からない事って何ですか?」

「箪笥の上の、あの、上に置いてる、服は、もう出てるのかなって。」

「それに何時間も悩んでいましたか。」


   6


 妹の事が少し嫌いだと思った。

 私は聴覚過敏で、以前リビングでずっとTikTokのぴいぴいした音をスマホスピーカーから流されるのに疲れて、お金が貯まったら自分で買う様言い私のワイヤレスイヤホンを貸していた。しかしそんな事もしてやる必要があったかと苛立ち、返す様に言った。妹は部屋の端っこから、ゆっくりゆっくり探し始めた。もう長く使っていない事は分かるガチャガチャの空ポーチの中、学生時代使っていた鞄、小学校の頃の思い出箱、あ、懐かしいプリクラ。メモ紙が落ちている。拾って読む。そんな感じで。

「失くしたんですか。」

「病院行った時に、落としたかも知れません。」

「最後に使ったのはいつですか。」

「この前の病院の時です。」

「では何故探し物のポーズをするのですか。」

「あるかも知れないから。」

「貴方の探した所にあると考えられましたか。」

無言。

「じゃあ、弁償したら良いですか?」


 妹は一応働いているし、菓子や酒を買う金はある。まあ詰りそれらを買わなければ弁償出来るのだろうが、他人の物を失くしたというのに動揺や何らかの申し訳なさを確認する事は出来ず、何ならば怒りを抱えている私を馬鹿にして見下ろしてきていたものだから、弁償して終わらせる気なら受け取らないと言った。


 話は噛み合わなかった。ずっと、私は馬鹿にされた。失敗って誰にでもあるでしょう?それを許せないのって心が狭い証拠だよね。失敗くらいするでしょう?人は完璧じゃないんだよ。私はそう言う妹に土下座して、頼むから、自分以外の命にかかわる仕事だけは目指さないでくださいと言った。

「土下座とか何になるん。くだらな。」

 私は凄く怒った。看護学校時代の教科書を全て紐で結ばせた。スピリチュアル本もまとめて結ばせた。妹は少し抵抗した。特にスピリチュアル本を捨てる事に抵抗した。看護学校の本は自腹じゃないからか。

 妹に、夢を諦めないことを応援しない人でなしの様に言われ、私はゴミ袋の薬の話をした。母も横に居る。直ぐに妹は黙った。その他色々話した。全部説明した。私はいつだって沢山説明するから、本当に全部説明した。何故看護師を目指してはならないか沢山話した。夢を諦めなければ全て偉いのかと怒り、妹との関係は最悪になった。説教の間に朝になった。妹は途中何度か寝た。


 訪看にお断りの電話を入れた。


 妹もペットを飼育していて、ヒガシヘルマンリクガメの百さん。勧めた私を殴りたい。頻繁に、水も餌もカラカラになっている。放置される。かまってほしいとアピールする百さんを、うるさいと言ってひどい暑さの中、庭のスペースに長く放置する。気付く度に私は肝を冷やして心臓を痛める。半ば私が世話をしている。妹には何度も飼育方法を教えたが、ペットの育て方に厳しいババア扱いでダメだった。

 妹の最悪な所にばかり目がいって、ずっと私は頭を抱えていたが、朝当然の事として挨拶をしたら許されたと勘違いして、何事も無かったかの様に接して来たので、その後から挨拶をやめた。


 妹がスベリさんの誤飲を笑っていたのはその数週間後。可愛いと思っていた。別に問題無いと思った。それが本当なのは、今回は間違い無いと感じる。妹は頭が悪いから、リスクが全く、分からない。しかし、スベリさんは危なかったと伝えても、妹は大して興味を示さなかった。対処言わないし、危険を伝えろとも言えないがせめて私が苦しんだ事を理解してほしいと伝えた。

 伝わらなかった。


   7


「だから、どうすれば良かったんですか。」

「だから、How toの話じゃない!」

「じゃあ何なんですか、何をしてほしいんですか。」

「何度も言っているけども、してほしい事は無い!ただ、貴方以外の人も心があって傷付くことを知ってくれれば良いの!」

 貴方だけが苦しいのではない。貴方だけが悲しいのでもない。貴方だけが被害者ではない。アイデンティティの為に他人を苦しめるな。貴方によって苦しんでいる人に気付け。他人という存在を知れ。伝わらない。

 母が、陶器市で買った気に入りの茶碗を出して例え話をした。これが割れたらどんな気持ちになると思う?

「また新しい可愛いのがあったら欲しいなって思う。だって、割れたものは元に戻らないじゃないですか。」

薄っぺらい本に書いてそうな言葉。

 じゃあこの茶碗を貴方が割って仕舞ったらなんて言う?

「その質問の意味が分からない。関係無いし、割ってないじゃん。」

いいから答えて。この茶碗をもし貴方が割って仕舞ったら、なんて言う?

「新しいの買ってあげるね。欲しいのあったら教えて。」

私は、妹に声を掛けて、妹が先日買ったコップを強く振り上げた。妹は足も、瞼も動かなかった。

「それ意味あるんですか。物を壊すとかやめてくださいよ。」

愛着のあるものが危ないと思えば慌てて手を出してくるかと思ったが、全く意味が無かった。

「私が割る訳無いじゃない。私は陶芸家さんに敬意がある。貴方の中にある筈の物を尊ぶ気持ちに気付かせようとした。大事なものが無いなら伝わらないと知った。」

「ふん。」

無理だよ、馬鹿につける薬はないんだから、もう諦めなきゃ無理だよ。母に言って、二人で沈み込んだ。

「百さん(妹の亀)が苦しんでいても、替えがあると言えるの?貴方は焦ったりしないの?」

「百ちゃんは、死んだら、ちゃんと丁寧にお墓を作って悲しいと思ってあげる。悲しいなって思う。」

 この話にも、何時間も費やして、疲れ果てた。

 せめて、自分の何が悪かったのか少しでも書いてまとめなさいと言った。どうなったかは知らないが、その日も妹はいつもの時間にしっかりと寝た。


 私は動物が好きだ。動物だけではない、無機物も好きで金属が専門だ。石をコレクションしている。私の愛着の方が逸脱しているのかも知れない。しかし、大切なものがなくなる気持ちを理解出来ない妹が、私は怖くてならなかった。気持ち悪かった。

 今後もそんな人間に、色々なものを抜き取られて甘い汁だけ吸い取られていくのだろうか。彼女は汗水を知らずに、可愛さだけで赤の他人を騙して助けられ続ける気なのか。搾取する事に何も感じないで。

 デエビゴで寝る私の夢の中で、妹は、ヤモリとか、外の沢山のものをぱちんぱちんと潰して殺して壊していった。


 翌日もその翌日も、私は幾らか、どんな気持ちなのか、今あなたは何を思っているのかと問うてみた。

「なんか、え、気持ちって、特に何も無いですけど。」


   8


 ここ数日眠れない。昨日は深夜から睡眠薬をどれだけ足しても寝方が分からず、4時に耐えかねて部屋を出ると妹のいびきがしていた。妹はこれからも、私達を苦しめながらも助けられてのうのうと生きるのだ。近くの物置の重い空気入れが丁度良く見え、私は寝ている妹を何度も殴った。思ったよりも軽くて残念に思った。


 気が付くと部屋の畳は赤くなっていた。母が来て、色々と問われた。説明したら、母は泣いて、ずっと一人で抱え続けていた妹の問題に気付いてもらえた事が嬉しいと言った。皆妹を可愛いと言う。あんなにも怖いのに、皆可愛いと言って、私のする事を酷いって言うの。bは色んな所に言いふらしていた。だから私は色んな所で一人だったと。家でも誰も味方にならなかった。20年間。もうダメかと思っていたと。

 私は母に、私を怒ってくれた事を感謝していると伝えた。そうしないと出来なかったであろう事が幾らでも思い出せるからと。妹についてずっと抱え込ませて申し訳無いと謝ると、これは本来親の仕事なのだからと言われた。畳を拭きながら、妹のぽかんとする中2人で泣いた。


 妹は頭が悪いから絶対に分からない。私達の苦しみは分からないだろう。妹は頭が悪いから自立も出来ないし、この妹を放り出す事は、丸で手に余った檻の中の猛獣を遠くに解き放って逃げる様な、とても迷惑な事に思えた。それにいつ巡り巡って身内の私の元に被害が来るか分からない。家で見張るしかないと思う。


 私も障害者だ。知能に問題のある妹も許していたかった。怒りたくはない。人を怒る資格が自分には無いと思っているし、本当に怒るのは嫌いだ。すべて事情があると思っている。すべて許したいと思っている。それなのに、妹は私や母を怒らせる。怒らなければならない状況を作る。私はダイラタンシーの中でもがく様な苦しい説教を続ける。何も伝わらないし、すべては曲解されるし、支離滅裂な反論を受けては、この話が未だスタート地点から進んでいない事に気付かされる。それを続ける。それを続けるのが、身内の責務だと信じる。だから妹は、私の事を虐めてくる姉と他人に言いふらすだろう。既に一切そんな事が無かった時期の訪看にそう言っていたが、もう、本当にそうなる。これからはそうなるしかない。

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