top of page
kizirusikiu

ビーカー

 真っ黒い海があった。


 真っ黒い海の中に息も無く静かに溺れている私は、上と思しき方を微睡む様にぼうっと眺めていた。

 ゆったりと沈んでいく感覚があり、時折ふわりとした上向きの微かな流れで腕を揺らしながらも、矢張り恐らく上と思しき方を見詰める形で腹を上にして落ちていく、その大きな流れは変わらない。

 或いは、変わっていたとしても分からないのだ。

 全身が同じ何かに浸されているのは感じられても、それが果たして水なのか、分からない。呼吸の仕方も忘れた私の口内に、その液体だか何かが満ちているかも分からない。


 白いキノコがふよふよと上昇していくのを見る。


 ビー玉の様なまるっこい形をした白いキノコは、この真っ黒い海の中でどうしてだか綺麗に白と分かるので、これは彼自身が発光しているのだろう。私は私の姿を確認出来ない。私は発光していないのだろう。この黒い海の中では、私よりも白いキノコの方が、己を知っている様だった。

 上昇する白いキノコは次第に数を増し、しかし私の身体を照らして私を知らしめるでもなく、唯己自身のみを光らせ、見せてくる。海を幾らか明るくする事も無い。

流れの縺れが時折腕や脚を思い出させたとしても、私の身体は既に綻びつつあり、若しかしたら今もふよふよと上昇を続けるキノコは私から解き放たれた私なのではないかという想像をし、感覚を求めずにはいられなくなる。自分がどれ程残っているか、分からないし、確認する術もない。


 己を己と知るキノコの群れがゆったりと真っ黒い海を上昇する。


 知らない私は沈む。


 ビーカーの水に、万年筆のコンバーターを落とした。

bottom of page