私の家は小学校の前にある。窓からはグラウンドも見渡せるし、教室の人の動きも分かる。校門に当るグラウンド端まで、我が家から50mも距離が無いと思う。更に言えば、学校と家の間にあるのは、去年我が家が手放した田圃のみ。今はその田を市に渡して仕舞い、保育園が造られている最中だ。
こんな距離だから、体育の時間の先生の言葉とか、音楽の授業とか、様々な音が聞こえる。
一応昨今の話の流れ的にチョット断っておくと、私は確かに聴覚過敏があるが、家の防音をよくしている上に自衛する手段も多くある為に、本文では、音が不快というよくある話をしたいのではない。今回は単に、お世話になった小学校の現在の事情にそっと関心を持っている下世話な隣人として、なんなら耳を欹ててきた話をチラ裏メモしようという事だ。
私が元々小学校を気にし始めたのは、数年前に病気をして実家に帰ってから、再び軽い職に就くも大病して入院、その後自宅で療養を続けていると、寂しい一人の昼間に響いてきたのが男性教師の怒鳴り声だった事から。男性の怒鳴り声は嫌いだ。暴力を奮っていた父が、虫の居所だけで怒鳴り散らして怖かった。ああいうのは良くない。
仕事をして世に貢献したい気持ちを持て余している若者の私は、そのエネルギーを妙な正義感に変えて粘着質に小学校の方に耳を向ける癖が付いて仕舞った。
ヒステリックに怒りがちな先生は男性一人、女性一人だな。庭いじりをしていると子供達に話し掛けられる事もあるので、そういう話を直にも聞くし、いつの世もイヤな先生は居るもんだと思って見ていた。
地元には鼓笛パレードがある。練習の音が賑やかになる程に、夏が来るのだなあと感じる事が出来る。曲目は私の頃とはひとつ変わって、難しいと言われがちだった曲が簡単なマーチに変更された。いずれそうなるだろうと思っていたし気にしなかった。強いて、言えば、パレードで他校と被りまくるので今迄やんわーりとした学校同士の悶着もあったその曲を入れるのは選曲に熱意が無いなあという様なあまり教育とは関係ない感想はあった。ミッキーマウスマーチね。
今年は鼓笛がとても下手だ。とてもとても下手で驚いた。練習時間は私の頃と変わらない。子供達は私達の頃と同じくらい練習をしている様に見えるのに下手なのだ。
ある年だけ天才が揃うという事はなく、小学生はいつの世も能力的に小学生だ、平均的に。確かに田舎の全学年ひとクラスきりの、大抵全児童数100人程度の学校であるから、私の頃(十数年前)からおしなべて語るのにサンプル数的にもどうにも無理があると言えるんだが、去年は問題無かった鼓笛が今年は出来ていないというのが、妙だった。学年に均等に人が居るとして(私の学年が何故か特別多かった例を無視して)、鼓笛に参加するのは4,5,6年生。去年良かったならば、今年も 2/3 の人達は少なくとも上手くやれるだろうと思える。...4年生は全員リコーダー、5,6年生が他パート(指揮,パーカッション,バトン,種々メロディー楽器)という風になっているから上手くやれそうな人の概算は少々夢を見ているのだが、そんな事はもういいぞ。それにしても酷いってもんだ。
子供達にやる気がない事は感じ取れた。怒鳴っていた先生は、やる気あるのかと言っていたが、やる気ないのだ。今どき熱血先生は流行らんわと観察しようと思っていたのだが、やる気がないにも程があるぞ。
体育を見ていると、赤白帽を被らないで、体操服もオリジナルの、まあ何と言うか朝ランニングしている人のちびっ子バージョンみたいな子供が紛れ込んでいた。服装も統一できんのか。
確かに運動が出来そうな服で、なんかブランドの、ちゃんとしたキャップも被っているから、体育はきっと出来るだろう。授業に差し支えは無いだろう。無いだろうと思いたいがその子供、良いスポーツシューズ等も持ってきており、何と言うか同じ土俵に居ない気がする...。小学校体育をしていない。これは言い過ぎだけど。格差を見せる為の自由なのか。
とてもラフだ。小学生の子供に話し掛けられる生活をしていて、今時の子供は知識があってマナーもなってて凄いなあと思っていたが、とてもラフなのだと思った。自分を一端の人だと信じ切って、私に話し掛けているんだ。気楽ではあるが。
「別に〜でもいいじゃん」という風に言って仕舞えばある程度の融通が利く環境で、規則とかが壊されている。子供にも十分な権利がありますという立派な言葉で、怠惰を結構許している。
結果子供は、なんだか凄い事を成し遂げる経験ってのを積まずに小学校生活を終えていく...。なんてったって凄い事程危なかったりするのだから、児童の安全を考えれば、達成感のある事をやらせる訳にはいかない。
厳しく指導してはいけない。あと一歩のところにある面白い事は伝えられない。ラフな鼓笛隊は一体感を教えてはくれないだろう。
と、う、うええ、小学校で自分達が自分達で何かを成し遂げたぞという、小さい達成感で世界を感じるあの、あの体感が、あの体感が無いとしたら、ああ、そう、本当にこれは教育に全く関係の無い所なんだろうけれども、人と人とのハーモニーを知らない各個体のばらばらの、つぶつぶが、おのおの育っていくのだ。
寂しい。